まず朝10時から編集部へ深夜3時までかけて焼いた旅の画像CDを持っていったのだが、コーヒーの出た打ち合わせの席で進行中の仮デザインを見せてもらえたのは収穫だった。
這り尽くして息絶えた夏のミミズのような字で書いた俺の駄日記も、パソコンで清書すればそこそこ読めるものになる。これを縦書き書式でプリントアウトするだけでも結構オッと思ってしまうものだが、やはりプロのデザイナーの仕事は一味も二味も違い、本を作っているので当たり前の事に聞こえるかもしれないが、何度も何度も読み返して読み慣れているはずの俺の原稿が、まさしく本そのもの! といった体裁で仕上がっているのである。その手の野心が無い人からすればなんて事無い感覚なのかもしれないが、心のかなり底の方から何年もかけて本を出したいと思っていた俺にとって、それはまさに夢のような眺めであった。
と、俺を担当してくださっている蛙の指輪が可愛い編集者は、今日も机の上一杯に資料を広げて眉根をキリリと顰めてくださる。要望も何も何年か前の俺が見たら椅子ごとひっくり返って失禁しかねないシチュエーションである。むしろこの仮の原稿と顔を並べて記念写真の一枚でも撮りたい気分だった。
俺にバーテンダーのイロハを教えてくれたのは、当時26歳だった大学八年生の先輩だった。
赤いセダンの屋根に夏はサーフボード、冬はスノーボードを載せ、フリースタイルのDJを器用にこなす傍ら心からジャズを愛していた。
女の子が大好きでナンパは百戦錬磨、クールを吸い映画の知識も深く、そして何より恐ろしく洋酒の薀蓄に精通していた。
そんな先輩に弟子入りしたのは19歳の夏だった。憧れのカウンター業務は洗い場からのスタートだった。
先輩は口で叱る前にまず蹴りを入れた。カウンターの向こうの事なのでお客様からは死角になっているのだが。あるときなどはしゃがみこんで冷蔵庫からカクテルの材料をとりだしているところを背中から蹴り倒された。
ステアというメイク方法がある。要はバースプーンでグラスやステアグラスに注がれた水割りやカクテルを混ぜる調合法だが、バースプーンの回転をよどみなくスムーズにするのは簡単そうでなかなか難しい。先輩はビールピッチャー一杯に詰めた製氷機の氷を
「溶けて水になるまで掻き混ぜろ」
とこともなげに言った。
シェイクの練習には塩水を使った。塩水の入ったシェーカーを氷でシェイクすると塩水が強烈に冷やされ、シェーカーの表面にびっしり氷の膜がはるのだ。洗剤や果汁にまけた指先の皮膚はとたんにボロボロになった。
友人達の前でこそ恥をかかされた。学生時代の友人に少しでもバーテンダーのカッコいいところを見せようと張り切るそばから、もう目も当てられないほどコテンパンにとっちめられた。
「ジントニックを作ってみろ」
ある営業終了後、先輩が藪から棒に言った。俺は言われるままジントニックを作ってスツールに腰をかけた先輩の手元にコースターを滑らせた。
「飲めん」
一口口をつけた先輩はそう言いながら俺が作ったジントニックをザバザバとカウンター越しに流しへとこぼしてしまった。
真っ赤な涙目を奥歯で噛み締めながら
(この人は人の上に立つ器じゃないな)
と、若かった俺は若いなりに精一杯の背伸びをして、先輩の人柄を胸の中で断罪した。次の日から俺はジントニックのオーダーが入るたび、先輩のメイクをジッと見つめ続けた。
町場のバーの週末はホールとカウンター、常連と一見のオーダーがひっきりなしに飛び交う戦場で、ようやく洗い場を卒業した俺はしばしば、そのスピードについてゆけなかった。
カウンターは3面の客席を持つ珍しいU字カウンターだ。だからひとたび店が満席になると安全地帯が無くなる。首都圏の余波はまだ地方都市に波及しておらず、いまだバブル景気の匂いが微かに残っていた福岡の週末は満席がだいたい3回転、給料日のあとなどは4から5回転が珍しくなかった。そんなマシンガンのようなオーダーの乱れ打つカウンターの中で、俺は少しでもカウンターの戦力になろうと無我夢中でメイクをこなした。
そんなある週末。メイクに接客、洗い物とグラス拭きを同時進行でこなしながら、俺はいつも以上にオーダーの圧迫を感じていた。おかしいなと思ってふとカウンターのデシャップ(ホールにドリンクを供給するスペース)の方を見ると、鋭い視線の先輩が腕を組んで、俺の仕事振りを睨みつけていた。俺は瞬間的に試されてるのだなと思い、体内のアドレナリンが一気に全開になった。
しかしその頃の俺のスピードと力量では満席の回転についてゆけず、オーダーの列と手付かずの洗物が次第にたまりはじめた。見かねたのかデシャップの方向から先輩の気配が近づいてきた。
(しまった! 蹴られる!)
そう思って身構えた次の瞬間、先輩は洗い場に手を突っ込んで一段低い声で一言。
「やるやんか」
と言った。先輩はめったに褒めない人だった。いやその日まで俺は、先輩から褒められた記憶なんて皆無に等しかった。それだけにその一言は嬉しかった。
「やるやんか・・・やるやんか」
部屋に帰って先にベッドに寝ていた当時の彼女の耳元で、俺は先輩が言った言葉を何度も繰り返しつぶやいた。彼女は気味悪がったが、俺は先輩の言葉が嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
まだ客の居ないカウンターで俺にバックバーのボトルを拭かせながら、先輩は洋酒の細かな知識を教えてくれた。産地、製法、原料、由来。どの話しも奥深くて面白く、それらを知って改めて味わってみる酒の味はまた格別だった。洋酒の世界は知れば知るほど限りが無く、俺はますますバーテンダーの世界にのめりこんでいった。
幾つかの季節と年月が流れ、気がつけば俺は数人の部下を持つチーフバーテンダーになっていた。
「ジントニックをつくってみろ」
ある営業終了後、二人っきりになった平日のカウンターで、先輩は藪から棒にそんな事を言った。俺は軽い既視感を覚えつつも冷凍庫から白く凍ったトールグラスを取り出してメイクを開始した。
飲み手の鼻の方角のグラスのふちにひっかけるようにしてライムを甘く絞り、ライムの切り目が上向きになるようにグラスの底に落とす。
トールグラスに氷と氷の隙間がなるたけ生まれないようにかち割りを敷き詰め、白く締まった氷の表面をトロみがつくほど凍らせたジンで満遍なく濡らしながらグラスの約1/3まで注ぐ。
氷とグラスの僅かな隙間からグラスの底のライムの果皮を狙い打つような勢いで、はじめは静かに、徐々に加圧を強くするイメージでトニックをグラスの2/3まで注ぐ。ジンとトニックではそもそもジンの方が比重が軽い、上からトニックを注いだ瞬間からトニックの上に上ろうとするジンの浮力で双方は自然に混ざりはじめる。
最後に氷と氷がぶつかり合わないようバースプーンをグラスの再奥まで潜り込ませ、沈んだライムを軽く持ち上げた一瞬にグラスの底をバースプーンの背でコツンと叩く。すると極限まで押さえ込まれていたトニックの発泡力がジンとトニックを一瞬にして攪拌してしまうのだ。
俺は抜き足差し足の静けさでグラスをカウンターに置くと、居住まいを正してコースターを先輩の手元へ滑らせた。
「・・・このカウンターを頼む」
一口口をつけた先輩はそう言って、ジントニック以上のなにか別のものを噛み締めるかのように固く目を閉じた。
それは厳しかった先輩がはじめて見せる人間の弱さだった。
弱さを束ねたものこそが本当の強さなのだという哲学をこの身に刻んで思い知るには、数年後の日本一周の旅まで待たなければならなかったが。俺にとって完璧な目標であった人の弱さを目の当たりにすることは、長かったひとつの旅を終える心境とどこかが似ていた。
俺は無言で頭をさげた。
先輩の目じりに滲んでいた何かに気付かないふりをして。
俺は深々と頭をさげた。
数週間後、俺はヘッドバーテンダーとなって、文字通りそのホテルのドリンク全てを任された。
カウンターの顔ぶれも春の新規採用で一新された。俺のサポートとしてつく事になったのは近くの大学に通う19歳だった。
春が行き、夏が暮れ、いわし雲たなびく高い空から秋の帳が降りたある営業終了後、俺はようやく洗い場を卒業した彼に藪から棒に言った。
「ジントニック、つくってみようか」
昨日のはアレで実はちゃんとした日記なのだ。
まぁ私的日記なので別に昨日の日記が日記っぽくないからといってことさら「アレでも日記なんですよ」なんて書く必要は無いのだが、これはもう旅日記をつけていた頃からの・・・いやWEB小説サイト(うわ、書いちゃった!)を運営していた頃からの癖なのかもしれない。
閑話休題話を元に戻すが、実は昨日現場研修に19歳の男の子がやってきたのだ。
「最近の若い者は」
とこぼすようになっては俺も立派なオジサンの仲間入りなのかもしれないが、彼のお金と時間を交換している事に対してのモチベーションの低さにはほとほと閉口してしまった。まぁ彼は学生だったから気分としては学校の延長上なのだろうが、そんな人員にも正規の賃金を払わなければならない企業が不憫でならない。
「頑張り」というのは見えなさそうで実はよく見える。見えそうで見えないというレベルはプロのレベルだ。何時間たっても彼にはその姿勢が全くといっていいほど見受けられなかった。見かねてバックへつれて行きその辺を諭すと
「俺にはやりたい事がある」
と、夢を語るのだ。夢は大いに結構、しかしそれは現実をしっかりこなしてこそである。好きこそ物の上手なれと言うが目前の仕事をゆるがせにする人間が、自分の好きな仕事だけをキチッとまっとうできるほど、この世の中は甘っちょろくないのである。もし今の仕事が将来好きなことをするための仕事であるのだとすれば、その前提となる仕事にも敬意を表するべきだ。まぁこういう事を話しても彼にはきっと青臭く聞こえるだけなのだろう。
そんなこんなでイマイチ釈然とせずに家に帰って、銭湯で汗を流しながら自分の19歳の頃を思い出してみたのだが、思い出せば思い出すほど俺の19歳は昨日の彼をワカゾーと一刀両断できるほど立派なものではなかった。当時26歳だった先輩もきっと19歳の俺を見て同じ心境を抱いたに違いない、ということは程度の差こそあれ現代の19歳とはせいぜいあんなものなのだろう。
週明けの今日は出版がらみで忙しくなるだろうと身構えていたがそれほどでもなく、サンシンと惣菜パンをぶらさげて雨上がりの柔らかな陽気に目を細めながら散歩をした。
編集部からはつい今しがたメールが有り、幾つかの確認事項とこれから10日後に控えた最終締め切りまでのザックリとした流れが書いてあった。かれこれ去年の12月からはじまった出版も遂に大詰めの様相だ。気分としては三年目の旅のようでもある。
今日は場合によってはゆっくりできる最後の夜かもしれない。少しはやいけどこれから銭湯に行って、入浴200円プラスのサウナにも入ってこようかな。
それで風呂上りは発泡酒にしよう。
『セミファイナルなんで20時ならまだ間に合います』
プロボクサー石川さんからそんなメールを貰ったのは数日前のことだった。俺はこれでもつい最近までボクシングのことを撲針愚(民明書房刊)という中国由来の格闘技と思っていた男なのでセミファイナルと言われてもイマイチピンと来ないのだが、とりあえず努力してみますという旨のお返事をする。仕事場の三鷹から試合のあるという後楽園まではドアtoドアで一時間弱、俺の仕事は朝11時から20時までの拘束9時間(休憩1時間)なので仮に20時からの試合ならば間に合う道理が無い。とはいえ今月はただでさえ出版がらみで休みをとりまくっているので、これ以上の無理は利かないよなぁと職場のカレンダーを睨みつけていた俺の眉間の皺がパッと解けた。試合の日の6月7日はテューカーの販売ミーティングで八王子に行くのだ。このミーティングは10時からなので出席すれば店舗を19時にあがることができる。本当はバックレるつもりだったミーティングに出席届けは出していないが、こそっと参加させて貰う事にする。
そもそも売れない携帯キャリア『テューカー』をわざわざ選んで「ひとつ売ってやろう」なんていう好事家が集まるミーティングはそれはそれで面白い。しかもミーティングの後には昼食(今日はチャイナドレスのお店で中華バイキングだった)が無料なのだ。
「もー喰えん」
というくらい堪能してJR八王子駅から三鷹へ戻る中央特快に、その電車の中で編集部からのメールが着信した、俺を担当してくださっている女性編集者からだった。
『本のタイトル、発表どうぞ』
俺は携帯の画面を食い入るように見つめながら「キターーーーーーーーー!」とつり革を握り締め、天を仰いだかと思うとやおら目を閉じてハァハァと息を荒くした。そんな俺を前の座席に座っていたてオバちゃんが明らかに怯えた目で見上げていた。街中で見かけたら近づきたくない人No.1の挙動だ。ちなみに以下がそのメール本文からの抜粋である。
「泣き虫男、歩いて日本一周してきます」
〜9,024km 416日の旅日記 試練編〜
著者:中林あきお
価格:740円+税(5%)/定価777円
装丁:18折/P288/オール1C
7月10日発売
発行所:株式会社(えい)出版社
(まだ書店様等には正式リリースされておりませんので
書店及び編集部へのお問い合わせ、ご注文等は今しばらくお待ちください。6/8現在)
ルンルン気分で三鷹の職場に復帰したのは15時。秒読みまでして19時であがった店舗からバスと中央線を乗り継いで後楽園のある水道橋に急ぐ。試合にはギリギリ間に合った。ワイシャツの背中にびっしょりと汗をかきながら駆け込んだ後楽園ホール5階では、リングの上で既に二人のパンチドランカーが全6ラウンド中既に4ラウンドを戦っていた。石川さんの試合はこの直後なのらしい。
石川さんの試合は白熱した。「セミファイナル」というのはつまり「メインファイト」のひとつ前の試合のことらしいが、試合のポスターのど真ん中を一番大きくぶち抜いていたのは石川さんだったし、リング際のテンションもこの後行われたメインファイトよりあきらかに沸騰していた。俺らの仲間ウチで石川さんといえばちょっと別の意味(?)で有名人なのだが、ボクシング界での石川さんは実力派ボクサーとして本当の意味で有名人らしいのだ。
試合は判定でドローだった。素人目に見ても明らかに石川さんが押していたが、対戦相手はこれからのプロボクシング界を背負って立つといわれる若手のホープであるらしく、文字通り後輩に花を持たせた格好のジャッジと思われた。石川さんは御歳なんと32歳で俺の一つ先輩なのである。
応援に駆けつけた以前「某所」と呼ばれていた仲間たち約10名で試合を終えた控え室に押しかけ、差し入れの贈呈、記念撮影をこなして夜の後楽園に。当然興奮冷めやらない某所関係者は隣のデニーズで生ジョッキ2杯分のおだを楽しくぶち上げた。
「今度は中林さんの出版オフですね」
誰かが言ったそんなセリフにまんざらでもなく照れ笑いながら、俺達は水道橋の駅改札に向かって興奮の熱を夜風に冷ますのだった。
水道橋から新宿へ、京王線で柴崎までゆけば慌しかった一日も終わるのだが、ボクシングの試合と本のタイトル決定に胸躍る心境を伝えたくて森川氏に電話をすると、なんと山崎が部屋にいるらしい。それならば行かねばならないと急遽路線を変更して大江戸線の中井駅まで。
レンタルビデオ店から借りてきたらしいTV版ガンダムをDVDにダビングしている二人の30歳の背中になかば呆れながらも、俺はいろんな事があった今日の出来事を順不同でマシンガンのように語りかけた。それはもう本当に楽しかった少年時代が再び戻ってきたかのような楽しいひとときだった。
俺達はこれからはじまる途方も無い夢のあらましをそれぞれに語って笑い合った。
日本一周の旅が途方も無い夢だったあの頃を思い出しながら
俺は夢中になってこれからの夢を語った
推敲原稿が出来上がったと言うので編集部へ急行する。部屋を出たのは20時過ぎだった。今日辺りに上がってくると聞いてはいたので内心ドキドキしていたのだ。
実際見てみた原稿は感動的だった。前回以上に本そのものなのだ。カバーや帯の決定稿も見せてもらえた。背表紙にはドカンと俺の名前が入っている。俺を担当してくださっている担当の女性はしきりに
「なにか気になるところとかありませんか?」
と真顔だが、実は一番気になったのはそれら資料を目の当たりにした今の俺が一体どれくらいニヤけているかだった。
編集はこれから最終段階に入る。今日頂いた推敲原稿を読み返し、足すべきを足し、削除すべきを削除する。しかしそれらの作業には既にプロの手が入っているので、今更俺が賢しらに自らを主張する事は無い。というか俺を担当してくださっている女性は本当によくあの日記を読んでくれているのだ。それは帯の文句や作品紹介文、そしてこれが自分でもかなり気に入っているのだが目次のページのデザインに色濃く現れている。オレンジ色の付箋紙に蛍光ペンで注意事項を書き込みながら、これからの作業を熱心に説明してくださる担当の女性の話しに耳を傾けながら、あぁ、本を作るというのはこういうことなのだなぁとしみじみ思ってしまった。
調布方面へ帰る終電の時間が怪しかったので終電の遅い森川氏宅に泊めて貰うことにする。というか終電は建前で、本当は森川氏に預かってきた資料を見て貰いたかったのだ。
「いやぁ、いよいよキタね」
玄関のチャイムを高橋名人級に連打する俺からカバーのコピーを受け取り、森川氏もまんざらではなさそうだった。実は表紙の折り返しの部分に写真と一緒に載っている著者紹介文は森川氏著なのである。
その日はなんだかんだとお互い興奮して深夜2時頃まで起きていた。
視界の隅でテレビがサッカーのダイジェストを延々と流していた。
日本代表がワールドカップ出場を決めた夜に、
もう一つのささやかな夢が確実な一歩を踏み出した。
「どこ行きましょうかねぇ、今度の休み」
カレンダーに星印のついた今月の店休日を指で押さえて、コドモ担当のウスイさんは得意のつまらなそうな顔をした。ハッキリ言ってこの人の初対面の人に対するリアクションは最悪だ。以前の俺だったら即刻苦手な人リストに分類して関わりを避けただろう。しかしこの人は接すれば接するほど人間臭いところがボロボロとでてきて面白い。この人に限らず今の店舗で一緒に働く携帯コーナーの人々はみな一癖あって面白い。今のバタバタがおさまったらこの辺の事も詳しく書いてみたいなと思う。
そういえば不思議なものだが、仕事場でキライな人という存在がいなくなった。まぁ人間関係なので厳密に言えばそうそう上手い話はないのだが、少なくともキライな人を作らない人間関係の構築法を編み出したのかもしれない。俺が心がけているのは芳しからざる人でもその人を人間的に好きになってみる努力をすることだ。人は俺なんかが最たる例だが所詮は短所の塊である。人は目の前の人物をキライと認識してしまうと、この短所が余計にクローズアップされがちだが、好感を抱く相手にたいしては多少の失点が美点に転嫁される事もしばしばだ。恋愛用語で言えば「アバタもエクボ」というヤツである。この効果は絶大で、現在仕事に関して俺は全くのストレスレスである。無論人間であるからしてどうしても好きになれない相手という人も存在する。そんな人に対しても絶対にキライにはならない。「キライ」という感情は言葉にはあらわれなくと雰囲気で伝わってしまう。その雰囲気の応酬で人間関係がギクシャクしてしまうこともしばしばだ。向こうが俺の事を嫌うのは別に構わない、俺自身が嫌われる要素は俺自身が十分承知している。なんと言っても俺は万事に対してルーズであり、いい加減である。この辺は俺との付き合いが絶望的に長い森川氏や山崎氏なら諦めの境地で承認してるが、それを知り合って日も浅い人々に押し付けようというのがそもそも間違いなのだ。
「中林さんって、だいたい何か一つ抜けてますよね」
携帯の契約書に機種名が抜けていたのを見つけて、基本的に無表情のウスイさんがニヤリと笑う。
俺の欠点を見破って、以前はニコリともしなかったウスイさんが思わず笑みをこぼす。人間関係ってヤツはこうやって、ゆっくりつくってゆくものなのだと思う。
派遣事務所から連絡があった。以前お願いしていたのだが社内報で俺の出版の事を宣伝できるので資料を送ってくれとの事だった。
足の踏み場も無いほど散らかった部屋で事務所に送る資料を作成しながら、人知れず幸せな微笑がこぼれる。
決してのんびりとはしていない最近の俺だが、夢に向かって忙しい事が充実している事とイコールで有るとすれば、今の俺は充実期の真っ只中にあるのだろう。
全編読み直し、日記のタイトル、章の見出し、画像へのコメント、文章の追加、その他幾つかの確認、恐らくこれが最後と思われる宿題は最後に相応しいボリュームだった。
それでも全編読み直し以外の作業はフル充電で5時間稼動するパソコンのバッテリーが空になる頃に終了。この宿題の締め切りは13日(月)なので、悪くない進捗だ。トイレとドリンクバーを交互に行ったり来たりしながら過したガストでの日々も、ひとまず今日で一区切りだ。パソコンの電源を落とし、机に広がった原稿をまとめ、大きく伸びをしていろんな事があった見慣れた風景を見渡せば、辛酸甘苦の入り混じった様々な感慨がこみ上げてくる。決して平坦ではなかったけど、それらを全て思い出として反芻できることを許された今にして思えば、無駄な事なんて一つもなかったのだと思う。
窓の外には雨が降っていた。
雨宿りのつもりで、俺はドリンクバーのコーヒーをもう一杯おかわりした。
夜は森川氏宅に行った。例の読み直しを手伝わせるためだ。自分の原稿は基本的に自分が書いたという予断から小さな間違いを見落としがちだ。ズボラを絵書いたような俺と違い、森川氏はそもそも重箱の隅をつつくのが好きなタイプなので、こういう作業には俺なんかより格段に向いている。なんだかんだと面倒くさがりながら森川氏は作業を手伝ってくれた。
深夜1時頃、集中力の途切れから作業を中断。森川氏は明日仕事が休みというので原稿を預けて作業を進めて置くように頼む。山崎氏からも同じようにガンダムのビデオを今日中にDVDにダビングするよう頼まれているらしく、純粋な意味での森川氏の休日は消滅したかの如しだ。
布団を並べ電気を消した暗い天井に目を慣らしながら、森川氏もどうやら観念したらしい。
旅をしているときもよく思ったものだが、バカで向こう見ずな友人を持つとなにかと苦労するのである。
三鷹の仕事をあがって調布駅へ、いつもは見送ってる新宿行き特急に飛び乗った。今日は初台の山崎宅で飯を食おうという事になっていたのだ。
初台の駅で自宅から自転車でやってきた森川氏と合流し、迎えにきてくれた山崎のチャリの荷台に乗って一路本日の宴会場へ。二度目の訪問となった山崎宅には
「山崎にはもったいねーんじゃねーか!」
と目を疑ってしまう美しい彼女さんと、その彼女さんの手作りだという豪華夕食が待っていた。
ちらし寿司、ロールキャベツ、かぼちゃの煮物、おすまし・・・インスタントラーメン生活の長かった舌にどれもひたすら美味い。
遠慮なくお替りしてあっという間に満腹に、こんな時ばかりは自分の厚顔無恥が得な性分だなとしみじみ思う。
飯の後は懐かしのゲーム大会となった。
「テレビ周りはマコ(山崎)の好き放題だからね」
と笑う彼女さんの諦め顔はもっともで、山崎のファミコンコレクションは前回の訪問時の3倍くらいに膨れ上がっていた。
3人足して90歳のむさくるしい男共が次から次にソフトを交換して、やんややんやと盛り上がっていると、藪から棒に山崎の彼女さんがケーキを運んできた。森川氏がコントローラーを床に置きながら言った
「今日は実はナーシ君の誕生パーティーやったとばい」
しまった! と思ったときには既に山崎がケーキに4本(10歳を3本、1歳を1本)の蝋燭を立て、愛用のジッポーで火をつけていた。俺の誕生日は6月21日なのだが、俺は18日に実家に帰ってしまうので彼らは先手を打ったのだ。苺の沢山のったホールケーキの一番目立つところには『夢への一歩』と文字の刻まれた板チョコレートが、見た目にも甘やかな生クリームのクッションにもたれかかっていた。出版記念でもあるらしい。
イベント好きだという山崎の彼女さんがグッドタイミングで部屋の電気を切って
「照れ臭かし、大人やけん、最後だけね」
と、山崎がハッピーバースデーの最後のところだけを歌いだした。
その手拍子に合わせて森川氏も彼女さんも手を打ってくれた。
実に十数年ぶりくらいにケーキのローソクに息を吹きかけながら
畜生俺ってヤツはなんて幸せな男なんだろうと、思わずにはおれなかった。
朝、散々世話になった山崎氏宅をお暇し、森川氏と朝飯を食って解散した後、原稿の直しを終え、速達で郵送した後は久々に寝て過した。
今日は日曜日で編集部自体がお休みなので作業の依頼も無い。なにも気にせずクリアーな状態で意識を失えるチャンスだったのだ。
寝ている間はいろんな夢を見た、今までとこれからが複雑に交錯した夢だったと思う。
夜10時頃起きて近所の銭湯でじっくり一汗流し、部屋に戻って軽く飯を食って再び横になる。
風呂上りで暑苦しかったのでクーラーを二時間のタイマー運転にして、毛布を抱きしめて何度も寝返り打ちながら意識が遠のくのを待つ。100円扇風機で熱帯夜をやり過ごしていた旅をしていた頃からは考えられない贅沢さだ。
そんなつまらなくも満たされた、いい一日だった。
ヘルシア緑茶というペットボトルのお茶がある。
続ければダイエット効果があると謳ってたアレであるが、最近やってたあの緑茶のCMを見ていたら
「それは痩せるわ!」
と思わず突っ込んでしまった。あらましは以下の通りである。
ヘルシアを飲み続けているという設定の主人公は最近イイ感じらしい。
主人公の昼飯は典型的な三菜一汁だ。それを見た同僚が
「そんなので足りるの?」と問いかけると主人公は「程々がいいんだよ、程々が」と一言。
たまには歩くかと一駅分歩いて出社。
休みの日は自転車で坂を上る。
そして帰宅途中のラーメンを我慢して家路につくというストーリーだ。
・・・つーかそんな生活をしていれば、ヘルシア無くても痩せれるだろう。というかそんな生活が出来ない人のためのヘルシアではなかったのか?
多分熱心な消費者から「ヘルシア飲み続けても痩せねーぞ!」というクレームが殺到したのだろう。
マイクロダイエットというヤツもナカナカ酷い。
先日派遣先で「ヤセ組」というマイクロダイエット発の面白すぎる雑誌を見る機会があったのだが、それによればマイクロダイエット自体のカロリーは一杯約150、そして一番効果的に痩せる方法をマイクロダイエットを一日二回、一食は普通食としていた。
さらにマイクロダイエットで痩せる約束として「一食600カロリーに抑える」と小さな文字で追加してあるのである。つまりマイクロダイエットが推奨する一日の摂取カロリーは1000カロリー以下なのだ。
繰り返すがそんな生活をしていて痩せないはずが無いのである。
編集部担当者からの確認をこなしながら、アマゾンに自分の名前が載っていたのを見つけて嬉しかった一日でもあった。
朝10時に三鷹駅集合だった。
といっても仕事ではない、今日は携帯コーナーの仲間達と店休日を利用して富士Qハイランドまで遊びに行くのだ。
メンバーは欠席者一名を除く男女6人。レンタカーで高速を2時間飛ばして辿り着いた富士Qハイランドは、実に10年ぶりくらいの遊園地だった。
「もう歳も歳ですし、心臓とまりますから」
昔から絶叫マシンが苦手な俺は、なんだかんだと敬遠していたが
「これくらいなら大丈夫なんじゃないですか?」
「これならなんとかいけるでしょう?」
と、遊園地慣れした周囲から上手い具合にレベルを上げられ、最終的には『ドドンパ』という初速のやたら速い、しかも垂直上昇、垂直落下式のコースターに乗せられてしまう。
まぁ結果的には楽しかったのだけど、あの高いところからフワリと落ちる感覚というのはどうにも心臓に悪い。その後富士Q最大のイベント『FUJIYAMA』はさすがにパスして(果敢に挑戦した女の子二人は「乗らなきゃよかった」とグッタリしていた)、俺は職場の同級生と一緒にガンダムのアトラクションに血道を開けた。「ア・バオア・クー」とか「ルザル艦隊」とか言われて後ろの座席に座っていたギャル風の女の子達は意味が分からずポカーンとしていたが、一番前の座席に陣取って、ジムが先導するランチでジオングのメガ粒子砲やガンダムのラストシューティングを縫うようにすり抜けながら(わからない方スミマセン!)子供みたいな雄たけびをあげていた。
「次は海行きましょう! 海!」
アトラクションからアトラクションへゾロゾロと移動する途中、はやくも次なる遊びの予定で盛り上がりながら、俺はふと切なくなった。営業筋から小耳に挟んだ情報によると、俺の三鷹勤務はもしかしたら今月一杯になるかもしれないのだ。
そんな事はひとまず考えず、俺達はその後もフリーパスを使い倒す勢いで遊園地を遊びまわり、帰りは立川のスパゲティー屋で晩飯まで食って解散になった。時間は20時だったから10時間はたっぷり遊んだ計算だ。
「お疲れさまでした! また電話しますね!」
柴崎まで送ってくれた仲間達を甲州街道のテールライトの群れに見送って、俺は部屋へ戻る足をとめた。
賑やかだった今日を一人思い出しながら、俺は少し遠回りして部屋へ帰った。
最終締め切りである16日を明日に控えた今日は、昼頃から確認のメールがバンバン着信した。
最近は確認内容の伝達スピードを上げるため、編集部から携帯に直にメールが来る。だから自然変更内容も携帯で送り返す事になるのだが、俺は携帯メールを打つのが遅いのでまごついている間に次々と別の確認内容が着信する。
「チクショウ! これが彼女からのメールだったらなー」
とか何とかブツクサ言いながらメールを返している顔は多分不気味に笑っている。
速達で送れば済む原稿を編集部までわざわざ出向いて持ち込んでビックリされるハリキリ屋さんの俺である。なんだかんだで自分の夢に対するこういう実感の伴う行為が好きなのだ。
怒涛の確認ラッシュもなんとか一段落ついた。俺を担当してくださっている女性はこれからも朝までかけて作業の最終的な完成を目指すらしい。なので今日はいつでも対応可能なように携帯の着信音を最大にして寝る事にする。
帰省を目前に久しぶりに片付いた部屋で日記を書きながら思う。
夢の叶う瞬間まで、本当にあと一息だ!
仕事中にメールが着信した。俺を担当してくださっている編集部の女性からだった。
『本日、原稿、表紙、カバー全て全て責了(直し完全終了)としなければならない予定です!思い残し、不安な点、ありませんか!?』
契約カウンターの中で一息ついて、俺は
『無いです!』
と返事をした。実際今回の執筆活動に関して思い残す事は無かった。全力でぶつかった。送信ボタンを押した時の心の昂ぶりは、日本一周の最後の一歩を踏みしめたあの瞬間に似ている気がした。
『ありがとうございます! 私がんばります!』
返事はスグに返って来た。それはこの出版が、もはや俺だけの仕事ではなかったんだと思わせるに十分力ある返事だった。
仕事を終えて部屋に帰り、久々の銭湯で流した汗をバスタオルで吹き飛ばしていると携帯に着信履歴と留守電が入っていた。
『エイ出版の○○です! 今日原稿全て入稿完了しました! 明日また改めてご連絡します! お疲れ様でした!』
脱衣所の長椅子に腰掛け、受話器の向こうで少しだけ興奮気味の声を何度も再生しながら、俺は一人達成感と言う名の発泡酒を傾けていた。
絶望に打ちひしがれていたいつかの俺に知らせたい自分の姿を何度も何度も噛み締めながら
俺は一人しばらくそうやって、銭湯の長椅子を立つ事ができなかった。
故郷へと帰る電車に乗り込んだ。現在時刻早朝5時、新宿方面行きの山手線で品川へ向かっている。順調に行けばあと3時間で福岡だ。それからさらに2時間もみてれば大牟田なので、半年もかけて本気で東京を目指していたあの頃がバカバカしくもある。
しかしそのバカバカしさこそが今回の帰省のきっかけである事を考えると、人生ってヤツはつくづくどこでどうなるか分からない。
今日はずっと寝ずに起きていた。俺の住む調布からでは朝の飛行機に間に合わず、都心へのアクセス良好な森川氏宅に泊めてもらおうとしていたところに山崎氏が乗り込んできたのだ。今夜の肴は山崎氏の指令を受け森川氏が寝ずの番でダビングしたガンダムのDVDだった。時間はあっという間に過ぎてしまった。眠さがピークを越えてハイになると何を言っても可笑しくて笑いが出る。そんな風に気の知れたみんながみんな好きな事を言いながらそれぞれに笑い飛ばすものだから、窓の外はいつの間にか薄っすらと白んでいた。自転車で小さくなってゆく山崎の背中を送り、駅まで送ってくれた森川氏と別れてそろそろ俺も品川に着きそうだ。チェックインの手際次第ではこの日記も羽田空港でアップできるだろう。
なんて思っていたら空港の金属探知ゲートがピーピー鳴りまくりで、飛行機にはフライト直前に半ば飛び乗るような格好になってしまった。
旅をしていたときもよく思ったことだが、何事もたいてい、自分の思う通りには行かないものである。
大牟田駅に到着したのは11時だった。
九州は雨が降らないらしい、入梅してからまだ雨が降ったのは一日だけなのだそうだ。
乾いたにおいのする大牟田のアスファルトを、まず以前の職場まで足を伸ばした。
お土産のコンビニ袋をぶらさげて訪れた携帯ショップでは、以前の日記に書いていたグラマーな美人秘書が元気に仕事をこなしていた。儚げな笑顔の黄昏美人は大宰府に転勤になり、以前の彼氏さんとよろしくやっていること、天真爛漫の21歳は仕事をあがってしまい連絡がとれないこと、美人秘書じたいのやや詳しい最近。懐かしいお茶の湯飲みを挟んで近況を語り語られたりしながら、俺は変わったこと、変わらないことを数え上げる作業を中断した。
いつかは働いたバックルームのソファにおおきくもたれて大きく深呼吸をする。
夏の匂いの正体は空調の風だった。
中林家についたのは昼少し過ぎだった。親父とお袋がちょうど今夜の食事の買出しに出かけようとしていたところに鉢合わせになったのだ。成り行きで車にのせてもらいそのまま大牟田の町へ、サンシンをぶら下げて向かった諏訪公園でしばらく昼寝をし、夕食は俺の大好きな日清製粉から揚げ粉で揚げた手羽先になった。珍味でもなんでもない故郷の味が、ただひたすら美味い! 飯を食ったら飼い犬である柴犬ハナの散歩に行こうということになったので、俺は親父のために用意したプレゼントを渡す事にした。親父が以前からずっと欲しがっていたペンタックスのデジタル一眼だ。このイベントも俺のひとつの夢だった。出版が決まったら、まずは親父にこの一眼を買ってやろうと心に決めていたのだ。つまりこのプレゼントを手渡せる自分になれる事は、夢を叶えた自分になれる事なのだ。親父は大いによろこんでくれた、それを見て俺も嬉しかった。
ハナの散歩にでかけた諏訪公園で、俺はお袋にもお土産があった。
イラヨイ月夜浜だ。
お袋はBIGENが歌うイラヨイ月夜浜が大好きだった。しかし一年前の俺はまだ上手くこの曲を弾く事ができなかった。
「さびの部分がもう少し元気のいいといいね」
お袋が言っていたその言葉が以来ずっと気になって、俺はいつかお袋に納得させるイラヨイ月夜浜を聞かせてやろうと、東京でもずっと練習していたのだ。
公園の入り口が大きく遠のいたサッカーグラウンドの果で、俺はそんな前振りを打ってサンシンを弾きはじめた。
一年分の涙がスグにこみ上げて、結局さびの部分は元気よく歌えなかったけど、一年分の気持ちと30年分の感謝を込めて、俺はイラヨイ月夜浜を歌いきった。
小さな家族の小さなリサイタルだったけど、故郷のグラウンドには辺りを包む草いきれの残り香一杯に、言い得ぬ幸せが満ち満ちていた。
婆ちゃんの仏壇の下に布団を敷き、東京にゴールしたときにお祝いに貰ったガンダムのプラモデルの箱ををタンスの上に眺めながら、帰って来たんだなぁと思った。
実家の近所にはマルキョウというローカルスーパーがある。
袋ラーメンの人気銘柄「うまかっちゃん」を39円(コンビニで買えば80円くらいする)で売っているという、まるで外国のようなスーパーだ。そのスーパーの話をする時、実家が近所の森川氏はいつも
「マルキョウには最強の仕入部隊がいるに違いない」
と、爪の水虫を見つけたマツケン並みに険しく眉根に力をこめたりするのだが、今日はそのマルキョウで例の「うまかっちゃん」が3袋100円だった。一袋約33円である。思わず森川氏にメールすると返事はすぐに返ってきた。
『そのうまかっちゃん、中国製じゃないと?』
久々の故郷は楽しい。今日は家族揃って車で小一時間、熊本県天水町の草枕温泉というところへ行った。俺が大牟田在住者だった頃、森川氏とあしげく通った温泉だ。
温泉の後は夢タウンでお袋の買い物に付き合い、晩飯は鴨南蛮が美味い蕎麦屋原田屋でおそらく一年ぶりくらいになるザル蕎麦を食った。
一旦家に帰って近所の公園へ、温かな風の吹く東屋でサンシンの弦を爪弾きながら暮れなずみ行く故郷の空を見上げていたら、親父とお袋が飼い犬ハナを連れて散歩にきた。
歌ったり笑ったりしながら街灯の灯りはじめた公園を大きくグルリと歩き回って再び帰宅、部屋の布団に寝そべって、この日記を書いている。
あらゆる幸福が満たされた、実に豊かな一日だった。
一袋33円のうまかっちゃんを喰って、今日は寝ようかな。
久しぶりの故郷は楽しい。
天気が良かったのでサンシンを片手に飽きもせず海の方角へ、途中のローカルスーパーで大牟田の味「リンゴ牛乳」を買って新地の団地群を抜け緑地公園へ。
人気の無い大きな公園をネットワークウォークマンから流れてくるサザンオールスターズで歌い歩いていると、アスファルトはやがて大牟田の陸と海を分ける堤防に至る。
初夏の太陽に焼けた堤防によじ登り、袋から取り出したリンゴ牛乳にストローを刺してサンシンを爪弾けば、俺は旅をしていた頃の自分と一人になれる。
オジー自慢のオリオンビール
島唄
安里屋ユンタ
涙そうそう
ハイサイおじさん
満月の夕べ
てぃんさぐの花
花
島んちゅぬ宝
そしてイラヨイ月夜浜
少ないレパートリーをそれでも大切に歌い上げながら俺は、200mlの大牟田を飲み干してもしばらく、故郷の海風を感じていた。
夕方からは最近掲示板に書き込みをしている中学生来の友人大野氏と、共通の友人である平賀氏と焼肉を食べに行った。
大野氏は大牟田の役所に勤めるお役人様であり、平賀氏に至っては同じくお役所勤めである上に結婚までしているのだ。中学卒業からすっかり縁の絶えた空白の15年を埋めたり掘り返したりしながら俺は
(うーむ、なんというかやはりこれが世のまっとうな30歳の見本だよなぁ)
としばし感心しきりで、随分ぶりの焼肉を冷え冷えの生ビールで流し込んでいた。
しかし男同士の友人関係というのは面白いもので、それぞれの背負った過去や現在の肩書きなんかはひとまず置いといて、会ってしまえばまた友達だった少年時代の頃に気持ちが戻ってしまうのだ。
「じゃあまたね! 本買うけん!」
電車で帰るという平賀氏を見送り、駅まで送ってくれた大野氏の小さくなってゆくナンバープレートに手を振って、俺は夜の大牟田の町をグルリと大きく回って家路に着いた。
ダイエットをしている。
なので最近よく目にするようになった128円のカップ春雨を二つ買って近所のスーパーのレジに並ぶと。
「もう一つのカップ春雨なら一つ98円ばい」
と、レジのオバちゃんが安い方のカップ春雨を持ってきてくれた。
久しぶりの故郷は楽しい。
今日は成り行きで大牟田のポータルサイトである『大牟田からの独り言』管理人G3さんと、同じく『大牟田発不定期便』の管理人京一さんと三人で、大牟田の老舗中の老舗と言っても過言ではない「ませ」に飲みに行った。
そこは大牟田サイトを自称する管理人のお二人であるからして、ディープな会話の内容は殆どがオフレコなのだが、大牟田の町の真ん中で大牟田の事を熱く語りながら、時に無軌道に脱線しながら飲んだり喰ったりした時間は何物にも代え難く楽しかった。
店を出た後は近所の公園でサンシンのリサイタルをぶち上げ、千鳥足をひきずって帰りはまた大牟田の町を大きくグルリと回って帰路についた。
思えば「夢は叶う」というありきたりな自論に決定的な確信を与えてくれたのが今回の日本一周の旅だった。僕の足取りで日本一周は約9000キロ。一日一日の歩行距離なんて30キロせいぜいだが、その地味な一日一日の繰り返しをうんざりするほど積み重ねて日本一周は達成できた。
僕の好きな言葉の一つに「目的地のある人だけが目的地に行ける」というのがある。
まるで子供の言葉遊びみたいな言葉だが、過去に「日本一周をしよう!」「それをいずれは本にしよう!」と思った自分がいなければ今の自分は存在しないのだから、夢が叶うとはつまりそういうことなんだなと改めて思う。
30歳までに一冊、本を出版する事が夢だった。
今日は俺の31回めの誕生日。本が書店に並ぶのが7月なので、自分に課したタイムリミットを若干オーバーした事となる。この辺の微妙なツメの甘さは毎年のように夏休みの宿題が間に合わなかった少年時代からちっとも変わっていない。
そしてきっとこれからも、変わる事は無いだろう。
ここに来てダイエットの効果が上がっている。
すでに標準体重なので大幅な減量は難しくなっているが、さっき近所の銭湯で計った体重は65.4Kgだった。うむ、幻の64kg台がようやく見えてきた。
今夜はもう何も食べずに寝て、明日の朝、トイレのあとに体重計にのれば限りなく64Kg台に大接近だろう。
それでも今日は念願のお袋カレーだったので、こればかりはキチンとお替りした。今日のカレーは朝から予想できたので朝と昼を兼用にしたのだ。
実家ではしばしば「食べさせてもらえるもの」と「食べたいもの」の板ばさみに苦しめられてきたが、今は「食べたいもの」を抑えて「食べさせてもらえるもの」に食欲を集中させる事にしている。「食べたいもの」といったって、俺の場合カップラーメンが関の山だからだ。
延命公園という公園の近所で営業している某喫茶店の店員さんは、メガネが似合うなぁとしみじみ思った一日でもあった。
今日は鰻の日だった。
腹をすかせて待っていた。
腹をすかせて喰った鰻は美味かった。
お袋がセイロ蒸しを半分残したので、親父と俺とで半分こした。
ああ家族ってすばらしい。
鰻の後は親戚宅へ帰省の挨拶に行った。親戚宅付近には小学校低学年の頃まで住んでいた。20年ぶりにブラブラ歩いてみて、なんとも懐かしかった。
伯父さんとは多分10年ぶりくらいの再会となった。強面だった伯父さんはすっかり角がとれて優しい顔になっていた。
ビールをご馳走になって帰宅。そこからは近所の銭湯を求めてまた家を出たが、昨日の銭湯は締まっており、大牟田をぐるりと回って片道5キロほど歩いてようやく少し大きめのスーパー銭湯にありつく。少々くたびれたが現在ダイエット中なので、まとまった距離を歩けるのは嬉しい。
サウナと冷水で徹底的に絞って風呂上り体重は憧れの64キロ台!
こいつは明日の朝には幻の63キロ台が見えるかもしれないな。
俺は財布を持たない主義だ。
以前一か月分の給料が入った財布を、クレジットカード、キャッシュカードその他ユニクロのポイントカード(これは大して貯まっていなかった)や「これでエロビデオを借りるぞ!!」と密かに鼻息を荒くしていたレンタルビデオのポイントカード等など諸々を一気に紛失してしまい、それからは味付きの米をおかずに白米を食うという地獄のような極貧生活を余儀なくされたからだ。
昨日確か2000円くらい預けてたよなと当てにして訪れた郵便局には800円しか入っていなかった。しまった2000円預けていたのは銀行のほうなのだ。
銀行の方はと言うと実は少し以前からキャッシュカードを紛失しており(本当は部屋にあったのだが慌てて止めたため使用出来なくなってしまった)、お金をおろすなら通帳&印鑑を持って窓口を訪れなければならない。しかも大抵怪しまれ、決まって身分証の提示を求められるのだが、免許を持たない俺の身分証は本当にテロ実行犯のような顔をして写っている今より10キロも太っていた頃の写真なので、更に怪しまれて時間ばかり食ってしまうのだ。その上大牟田には俺の取引銀行が無い。なので福岡なのだ。
「福岡行くけん1000円貸して」
そんな中学生みたいなセリフでお袋の財布から1000円札をせしめると、俺は西鉄電車に乗り込んだ。
予想どおり銀行の窓口でそれなりの時間を待たされて、空梅雨の渇いた風が吹く福岡の街へ。
せっかくの福岡なのだから懐かしいところめぐりでもしようと、以前働いていた店々を周るのガだ、不思議なもので俺が以前働いていた店は殆どが潰れていた。
俺が福岡を去って5、6年。かつて磐石だと思って俺なりに忠誠を誓っていた組織は、組織としての活動をすっかり終えていた。まぁここ5、6年悪戯にフラフラし続けた俺が言うのも説得力に欠けるが、動きの早い世の中、やはり普遍的な安定というのは難しいのだろう。
そんななか、かつて大変お世話になった当時店長と電話がつながった。俺が福岡でコマ使われていた当時は一店舗の店長だったこの方は、栄達して今は社長様であるらしい。この方には以前(確か一年以上前)この旅の記録を本にしたい! とこぼしていたが、万事にドラスチックな店長は
「なんのこの出版不況に本など出せるかい」
と、らしく笑っていた。しかし今回の俺の話を受話器越しに聞いて店長はしばらく唸った後に
「オマエの執念もたいしたもんやなぁ」
と、嬉しそうな声で笑った。執念と言う意味では、ああなるほどそれもそうだなぁと我ながら静かに納得してしまった。日本一周もそうだが本を出すという一連のやり取りはこの「執念」無くして語る事はできない。今回の出版は俺が諦めたその瞬間に弾けて割れてしまう、まるでシャボン玉のような際どい話しだった(この辺の葛藤は俺からよく弱音を聞かされていた森川氏が詳しい)。
「本読んでやるぞ! また電話せいよ!」
はい! と元気よく答えて、俺は誇らしい気持ちで電話を切った。厳しかった店長の優しい声が、いつまでも耳に残った。
福岡には小学校からの古い友人がパン屋を起業していると聞いていた。行って帰って2000円もかかる福岡なんかそうそう足を伸ばせないので訊ねてみる事にする。
先日一緒に焼肉を食った大野君から住所を聞きだし、付近の方々に道を聞き聞き店を探すがナカナカ行き当たらない。本当は突然訪れて驚かしてやろうと思っていたのだが観念して「場所を教えてください」と電話するとなんと俺はその店の前を何度も通り過ぎていた。それもそのはず友人のパン屋はパン屋なのにまるで代官山か青山辺りのカフェーかブテックのようにオサレなのである。
その友人は花岩君と言うのだが、なるほど彼は昔からセンス抜群のお洒落泥棒だった。今日は残念ながらお休みで会う事は出来なかったが、今朝ちょうど俺の本の紹介が載っていた新聞を渡しておいたので、もしかしたらこのホームページにも遊びにきてくれるかもしれない。その時のために一筆書いておかねばなるまい。
「オリジナルのパン、すっごくおいしかったよーーー!」
夜は中学生の頃の友人と酒を飲むことになっていた。
草野君と盛瀬君だ。同じくファミコンで育った世代だが草野君は立派な一児のパパである。
携帯で見せて貰った娘さんは彼曰く嫁さんに似ているそうなのだが、いやいや目のパッチリ具合はどうしてお父さん譲りとみた。精一杯ガンダムの事やゲームの事を話していても、娘の話をするときの彼は父の顔をしている。そういう風景は父親の出来損ないの俺としては正直羨ましい。
明日は休みだという二人に付き合って深夜一時まで飲んでお開きに。
大牟田のオレンジ色の街灯に照らされ、少し欠けた楕円のような月を見上げながら家路についた。
大牟田から鹿児島まで、車で高速を飛ばして約二時間だ。
そういえば東京から福岡まで飛行機で2時間足らずである。
勝手にやったことだからまぁ俺が悪いのだが鹿児島までを約一週間、東京までを約半年で歩いたバカ者としては、なんともやりきれない距離感である。
そんな時速約80Kmで流れ行く車窓の景色を眺めながら、我ら中林家一行は鹿児島県日置市を目指していた。去年の旅でお世話になったひむかの郷へ向かうためだ。
日吉の役場まで迎えに来てくださった吉田さんの助手席に乗り換えて、いつか見た山道を何度も折れながら、再会にそれほど多くの言葉はいらなかった。
ひむかの郷では思わず涙がこみ上げるほどの懐かしい顔ぶれと、自然づくし心づくしの歓待が待っていた。先ずはひむか自慢の露天風呂で蛙と鈴虫、思い思いに空を飛ぶ野鳥達の鳴き声に目を閉じながら汗を流し、木の匂いのする談話室でそれぞれの今までを語り合い、食卓に隙間も無いほど並べられた自然食に舌鼓を打つ。
語らいの時間は指の隙間から零れ落ちる一盛りの砂のように流れて、あっという間に就寝の時間となってしまった。
こうして簡単に要約した日記の内容を読み綴りながら気付いた事がある。
旅をしていた頃の俺は如何にして、心を打った感動を一握りでも多く日記に託そうとしていたのかという事実だ。
時間も電波も電力も、なにもかもに余裕が有りすぎる俺に、あの感動を表現させれば、その後味は酷くくどくなってしまう気がしてならない。
旅をしていたあの頃の俺は追い詰められていた。
何もかもを制限された狭いテントの中で、泣きながらキーボードに向かっていた。
しかし一見逆説のようだが整備された環境下よりも、追い詰められるからこそ輝きを増すものがあるのだろう。
唇を噛み締めてみるいつかの後悔が、手の届かない過去を美しく彩るのと同じように。
(あぁ、そういう旅だったな)
追い詰められていた自分に追いつけない今の自分を心のどこかで誇らしく思いながら一人ニヤけている。
いつもの喫茶店の、いつもの席で。
ひむかの郷最後のイベントは記念植樹だった。
ひむかの郷の広場の片隅に自らスコップで穴を掘り、グァバの樹を植える。
「どうですか中林さん? 天皇陛下様になった気分でしょう?」
屈託なく笑うひむかの郷の亭主 吉田さん達に見守られながら、俺はグァバの樹の根をスコップの穴に移植し、根が伸び易いようにとアドバイスされて土を柔らかく盛った。
覚えている人は少ないかも知れないが、俺はひむかの郷に忘れ物を取りに来た。
正確にはいつかの自分が確かに持っていたみずみずしい気持ちを取りに来た。
その忘れものを持って帰れたかは甚だ疑問だが、俺はまたしてもひむかの郷に巨大な忘れ物をしてしまった気がする。
でもそれでいい。
忘れ物は取りにくればいい。ひむかの広場に植えたグァバの樹が、ひむかの郷の自然が、そしてひむかの優しい人々と吉田さんの微笑が鹿児島の地でいつでも俺を待っていてくれる。
それだけで、十分だ。
満たされた気分で親父の運転する愛車に乗り込み、中林家は再び故郷大牟田へ。
高速のアスファルトを静かに噛むクラウンの助手席で見た夢の内容は忘れてしまったけど、それが酷く幸せな時間であった事は確かだ。
夜は飲み会だった。例の元アルバイト先の飲み会だったのだが
「大丈夫ですって! 男の子も二人呼んでますから!」
とおびき出された飲み会会場にはグラマーな美人秘書&その彼氏さん、儚げ美人&その彼氏さん、そして俺という、前回とどこまでも同じシチュエーションであった。
もうザックリ諦めて飲んで食べる事に専念し、二次会のカラオケまで行ったので俺としては殊勲賞モノだ。
24時にカラオケボックスをあがり、送ってくれると言ってくれた儚げ美人カップルに
「いやいや、ダイエットしてるんで!」
と爽やかに手を振って大牟田の町をトコトコと自宅方面へ。
途中通りかかったラブホテルの前では今まさに
♪二人の行く先は〜 ひ〜と〜つ〜♭
的なカップルがフロントと思しきビニールカーテン越しに肩を並べて消えてゆくのを目撃してしまった。
なんというかもう、心の底の方からションボリとした故郷の夜であった。
昼からは某地元紙の取材だった。旅のゴールと出版の事について小一時間ほどお話させていただいた。以前にも記事を担当していただいた記者の方だったので懐かしさも相まって取材自体は実にスムーズだったのだが、問題は写真撮影だった。
俺が旅について話しているカットが欲しいという要望だったのだが記者はカメラマンも兼ねている。なので
「前に人が居るつもりで、なにか話しているようにしてみてください」
くらいの事を言われながら、向かいの誰も座っていない席に向かって酷くぎこちないパントマイム的なひと時を過す。うーむ、まるで筑紫哲也さんか東海林さだおさんみたいではないか。そんなカットを10カットくらい撮られて背筋にヘンな汗をかいていると、ニコンD100のディスプレーをプロの表情で見つめなる記者の方から
「リアル感を出すためにこう、手の動きも交えて欲しいんですよ」
くらいの事を言われながら、向かいの誰も座ってない席に向かって、ぎこちなく見苦しいパントマイムはもうしばらく続くのだった。
夜はまたぞろ飲み会となった。今夜のメンバーは高校生時代の悪友西田氏と同級生の女性二人だ。
一次会で飲んで喰って、二次会がカラオケという黄金パターンであったが、24時にカラオケボックスを出た後は浜辺で花火をしようという事になった。
暗い夜に白く打ち付ける故郷の波音を聞きながら、次々に花火に火をつけてゆく。
梅雨時の大気の不安定さを物語る折からの強風にあおられ、どこか慌しい花火ではあったが、足の裏の砂の感触や、海風が肌にべとつく感覚が、いつか過した青春期の追体験のようで心地よかった。
見慣れた大牟田の夜をそれぞれの自宅へ、帰宅の車内で同級生の女性が言った言葉が胸に残った。
「楽しい時間を過した後は、その楽しさに反比例して別れが寂しくなるよね」
彼女の感慨は旅で何度も繰り返されてきた出会いと別れの度に、何度も何度も俺の胸に突き刺さったものと同じだった。
花火の残骸を片手に小さくなってゆくテールライトに向かって大きく手を振りながら旅なんだなと思った。
人生ってヤツは旅そのものなんだな、と思った。
久しぶりに予定の無い一日だったので昼まで寝て、それからは片道3Kmくらいの距離にあるスーパー銭湯で三時間近くサウナと水風呂を行ったり来たりした。
夕食は大牟田市役所の近くの美味しいラーメン屋に家族で押しかけ、食後は近所のファミレスで少しだけパソコンをいじって20時に帰宅、21時には多分寝ていたという、どうしようもなくグータラな、それでいて幸せな一日だった。
子供が好きだ。
今日夕食後に両親と近所の温泉に行ったのだが、サウナを上がった水風呂に可愛い兄妹がいた。
彼らは俺の顔を見るとニコリと笑ったので、俺も笑顔を返すと大いによろこんで水をかけてきた。応戦すると喜んでそれから水風呂はしばらく幼児用プールの様相であった。
サウナから別のお客さんが出てきたのでころあいだろうと、俺は
「参った参った!」
と謝って、もう一度サウナに入って、汗をかきながら自分の子供好きについてしばらく考えた。
誰かが言ってた。表面的な子供好きよりも、子供が嫌いぐらいの方が子育てに対して現実的になれると。
子育てには可愛いだけでは割り切れない苦労があるはずだ。父親のなり損ないである俺にはそこがわからない。
そこを見ずに表面的な可愛さだけに頬の肉を緩ませるのは、ペットショップのショーウィンドーにならぶ子犬や子猫をニヤニヤと見つめる程度の感情と違いは無い。
そんな事を考えていたらなんだか無邪気な子供たちと馬鹿みたいな水の掛け合いを演ていた自分に酷く冷めてしまった。
そんな事に今更気がついた、どこかやるせない一日だった。
遂にこの日がやってきた。
出版を志して幾星霜・・・遂に自分の名を背表紙に刻み込んだ本物の文庫を手にする日が来たのだ!!
おお! 数年前の俺が今の瞬間を見たら、なんと言って喜ぶだろうか?
しかし実際にこの瞬間を迎えてみれば不思議なもので、興奮が一回転して興奮のるつぼかと思っていたこの瞬間には、心地いい達成感が静かに俺を包み込んでいる。
一瞬で叶った夢なんかじゃない
それは繰り返される日常に懊悩していた何時か
泣きながら歩いていた風の無い夏
そして数々の屈辱を甲州街道の電柱に叩き込んだあの日の一歩が連れてきた瞬間に他ならないからだ。
何時かは日記を書いたファミレスの席でこのような形で平成15年の俺に再会しながら、俺は小さく一言呟いた。
「おかえり、俺の夢」
夢に最も近い一ヶ月
〜了〜
戻る