日記


知られざる10月31日



 「げ! マジで!?」
 夢は割りと早期に覚めた。日本一周の旅が終わったその夜だった。
 「うん、こっちもちょっといろいろ不手際でね」
 いっぱしのサラリーマン風に顎鬚をしごきながら、森川氏は申し訳なさそうにそう苦笑した。
 その後ろでは山崎が基本的に他人事という予断をニヤニヤ顔にたっぷりと匂わせながら
 「二人ともバカじゃない? ねぇバカじゃなかと?」
 と耳障りに連発している。
 「じゃあ俺は明日からどうすればいいわけ?」
 ここで俺は一体何を狼狽しているのか? 旅を終えた後の俺の計画はこうだった。
 無駄にくたびれる旅もようやく終わったわけだし、ひとまずは東京に就職の決まった森川氏の自宅兼事務所にドサクサにまぎれて転がり込んで、屋根風呂トイレ付の生活でひとまずは長旅の塵を落としつつ、それでいてひとまず再就職なんていう硬いことはちょっとホラ、旅も終わったばかりですし、そこは神棚の隅の方にでも置いといて、ひとまずは森川氏所蔵の豊富なガンダムゲームコレクションに昼夜を問わず血道を開きながら、ひとまずはそんないわゆる冷却期間と申しますか、リフレッシュに向けての充電期間の有効性を無視するわけにもいかないのかなと、まぁそんな一種の『恐怖ひとまず男』として逞しくかつ無目的に生きてゆこうと心に決めていたのだが、森川氏の一言はこの俺の野望ないし願望を呆気無く粉々に打ち砕いただけではもの足りず鼻息でフン! と思い切りよく吹き飛ばしたのである。

 「うん会社の方でちょっとイロイロあってね、実は俺もまだ部屋に入れんっちゃん」

 ウエルチの濃縮還元オレンジジュース並みに100%他力本願を決め込んでいた俺にとって、それは全く寝耳に水だった。しかもそれどころか森川氏は明後日からまた九州に出張で、行ったきり4日まで帰ってこないのだそうだ。つまり完璧だと疑わなかった俺の東京着陸プランなどはじめからバベルの塔(現実の可能性のない架空の計画)だったのである。
 「スマン! いやほんとスマン!」
 俺の口から散々に発せられるマシンガンのような罵詈雑言をうつむけた横顔に受けながら、森川氏は一見深刻そうに眉根などを険しく寄せてみたりするのだが、大阪での緩衝材のときもそうだったように彼はのらりくらりと謝罪の言葉をならべながらも心の底で無い袖は振れないと思っているしたたかさんなので、俺の罵詈雑言は雑踏の喧騒に枯れ木の賑わいを添えるか己の顔面筋の運動くらいにしかならないのだ。
 山崎は俺と森川氏のそんなやり取りを傍でニヤニヤと聞きながら
 「二人ともバカじゃない? ねぇバカじゃなかと?」
 と耳障りに繰り返す。
 世界にその名を轟かす大都会東京のど真ん中で、それはなんだか記憶の向こうに遠い中学生時代と全く変わらない光景だった。


 こうして足掛け2年の夢の叶った記念すべき夜は、そんなあたかも4回転捻り半急転直下型の厳しい現実に心身ともに叩きのめされながら、騒々しくかつみっともなく暮れてゆくのである。



住所不定な二人   11月1日



 八重洲のカプセルホテルをチェックアウトして、俺はひとまず途方に暮れていた。
 これからどう行動してよいか、皆目見当がつかないのである。
 それでもまずはいまだ旅の荷物を満載しているキャリアーを即刻どうにかせねばならない。俺は余り気付かなかった(気にしていなかった)のだが森川氏がやたらパトロール中の警官の険しい視線を感じるというのだ。
 恐らく警官は、みすぼらしい格好でキャリアーを押す俺を自爆テロの実行犯、その隣をスーツ姿で歩く森川氏を自爆テロの指導者に違いないとマークを強めているのだろう。
 そういうわけで俺たちはひとまず東京駅八重洲口から連絡通路の雑踏を分けて丸の内口の中央郵便局へ、キャリアーに積んでいた荷物を解いて郵パックのダンボールに詰め実家へと送った。
 送料は無論、着払いだ。
 積荷がなくなってキャリアーだけになると、それ以前よりようやく少しだけ目立たなくなった。
 (まぁ森川氏も4日には東京に帰ってくるというし、そしたら今度こそ部屋に入れるだろう。それまでは甚だご迷惑ではあるけれど後藤さん宅に緊急避難ということにさせてもらうか)
 積荷の中身を半ば尋問であるかのようにやたらアレコレしつこく質問された窓口から戻り、やれやれと一仕事終えた会心の汗を拭っていると、森川氏が切った携帯をスーツの胸ポケットに収めながら申し訳なさそうに口を開いた。
 「ごめんけど今日僕も後藤さん家に世話になったらマズいかね?」
 「な、なに!?」
 俺はギョッと目を見開いた。昼から九州に出張と思っていた森川氏は、なんと会社の都合で突然今日一日オフになったそうなのだ。まぁそれ自体は別にかまわないのだが急なことで会社のほうも宿が手配できないらしい。
 さしあたって俺はその旨メールを打ちながら、かりそめの家主になるかもしれない後藤さんのひととなりを丁寧に思い出していた。
 後藤さんとは俺が東京で社会人をしていた時に知り合った先輩だ、後進に対する面倒見のよさは圧倒的で、当時は俺も随分可愛がられた。また去年の旅では後藤さんのご両親がお住まいになる岩手のご実家で筆舌に尽くせぬ手厚い保護を受け、あの面倒見のよさが直系遺伝であることを思い知るのだった。
 そんな後藤さんなので仮にこんなむさ苦しい男が二人がかりで突然押し寄せたとしても
 「あー全然いいよー、自分家と思って好きに休んでてよ」
 という返事が返ってくることは容易に想像できたし、実際そうだった。
 ただ仕事の都合で帰りが遅くなるといけないので、職場のある所沢まで鍵を取りにきてくれないか? と全くお人よしにも程がある。「もう一日休ませてください!」とお願いした俺を散々に可愛がってくれた岩手のご両親もそうだったが、やはり血は争えないのだ。
 そんなありがたい内容のメールを受け取った時点で、とうの俺たちはもう既に元住吉にいた。よしんば断られても押しかける覚悟満点である、まったくたいした面の皮だ。
 後藤さん宅の玄関に俺はキャリアーを、森川氏は悪趣味な色のビジネストランクを置いて一路所沢へ。仕事の合間を縫って待ち合わせ場所に来てくださった後藤さんから、ありがたく部屋の鍵を拝領する。
 東横線の乗り換えついでに池袋を見学し、接点の無さを痛感しながら再び元住吉へ。
 晩飯は後藤さん兄弟イチオシのカレー屋『パピー』にした。



 後藤さんがお仕事から帰ってこられたのは、森川氏がとっくに深い眠りに落ちた日付の変わる頃だった。
 レンタルビデオの延滞金を払ってくると笑った後藤さんについていきながら夜道、俺は何度もお礼を言った。しかしというかやはりというか後藤さんは全く暖簾に腕押しだった。
 「なんのお構いもできないけど気ぃ遣わずにゆっくりしてってよ、どうせ放置だからさ」
 森川君九州か帰っちゃうんでしょ? そのあいだもウチにいたらいいよ、とガハハと笑って、帰りのコンビ二ではまんまと発泡酒までご馳走になってしまう。

 「困ったときはお互い様だからねぇ」

 一方的に困ってばかりの俺が、「お互い様」といえる日は、果たして来るのだろうか?
 カラカラと笑いながら発泡酒の缶を傾ける後藤さんの横顔が眩しかった。

 森川氏の安らかな寝息が、蛍光灯の消えた後藤さんの部屋に、静かな時を刻んでいた。

 暖かな電気カーペットの上で毛布に肩までくるまりながら、その夜は俺も乳飲み子のように眠った。


 安心したのだろう



『旅人病』その対策と傾向   11月2日〜11月4日



 『旅人病』という言葉がある。

 目的地を明確に定めない『放浪』と違い『旅』には目的地が存在する。
 旅人とは言い換えればその目的地へ到着するために努力行動する人々のことだ。旅人にしては地図を軽んじていた節のある俺ですら、一日の始まりに着地点の目星くらいは付けていた。
 そうすると旅の期間は目的を達成してきた回数に比例すると言えなくも無い、だから一年も旅をしていると目的を達成するのが日常になってしまう。
 そんな長旅を終えた旅人が急に当座の目標を失い、無目的に茫然自失の日々を送る事を俗に『旅人病』というのだ。
 11月2日と3日はまさに俺にとっての『旅人病』だった。
 締めたネクタイも凛々しく出勤して行く後藤さんを見送った二度寝の果てにモソモソと起きだし、日がな一日ネットをしたりゲームをしたり漫画本を読んだりと、俺はそんな怠惰を絵に描いて額に飾ったような男に成り下がっていた。
 全くの腑抜けになりきって、何もする気が起きないのである。
 たださすがにこのままではいけないと思うのか、最終日の日記を書き上げた11月3日、禁煙席を半日占拠したマクドナルドの帰りに寄ったコンビ二で、俺は住宅情報誌と求人情報誌を購入した。
 求職期間のある人ならわかる感覚かも知れないが、求人雑誌を買うと言う行為はその行為自体がなにやら就職活動のように思えて、ただそれだけでも随分情緒が安定するものだ。
 似たようなキャッチコピーがズラリと並ぶ求人雑誌の薄っぺらな紙をめくりながら、時折折り目をつけたりしながら、元住吉のマンションの窓越しに時間だけが刻々と流れていった。
 (4日になればひとまず森川氏の部屋がある、仕事も部屋もそこでゆっくり探せばいいだろう)
 その程度の希望的観測に浸りきっていたまさに4日の朝、九州に出張している森川氏からメールがあった。予定どおり4日に東京へは帰ってくるが、やはり部屋は確保できないという内容だった。
 立ちくらみのような確かな落胆が俺を襲った。
 熱っぽい嫌な動悸に気付かないフリをしながら、俺は静かな焦燥感に駆り立てられていた。
 しかし森川氏の部屋が駄目でも後藤さんの部屋は出なきゃ駄目だなと思った。後藤さんは優しい、頼めばたぶん一ヶ月でも二ヶ月でも居候をさせてくれる人だ、しかしこのまま期限も切らずに後藤さんの優しさに甘えてばかりじゃいけない。親しき仲にもなんとやら、ケジメが必要だ。
 そんな折りも折り、一通のメールが着信した。送信者は以前働いていた派遣会社の女の子で、どうやらこのホームページで旅のゴールを知ったらしく、
 『仕事はありますか? 無かったらウチでどうですか?』
 という内容だった。
 おおなんてこった! まさに渡りに船ではないか!
 実はこの派遣会社への再就職は俺も薄々考えていたのだが、旅に出る前にわざわざ当時麹町にあった事務所に辞表を提出しにいった経緯もあり、どのツラさげてもう一回雇ってくださいなんて言えばよいのかわからず、どうにもバツが悪かったのだ。
 なので改めて電話をかけてきた担当の営業にそのことを話すと
 「あぁ、その辞表は無くなっちゃったんですよ、まぁ履歴書も一緒になくなっちゃったんですけどね」
 と本当か冗談か分からないような内容をカラカラと笑い飛ばすのだ。
 実績にはやたらシビアな会社だが、この会社のおよそ人材派遣会社らしからぬこんな気さくなところが、俺は気に入っている。
 結局その筋で話を進めてもらうことにして、一時間後にはその派遣会社への再就職が決まってしまった。
 面接も無い履歴書も書かないスピード採用だ。
 実際固定の住所も無く職を探すのは基本的には無理がある。かといって職が無い人にホイホイと部屋を貸してくれるほど、東京の賃貸事情も甘くはない。そういう観点からもこの話は、全くもってラッキーであった。


 その夜、俺は後藤さん宅を出た

 後藤さんには森川氏の部屋に行くと伝えた

 そうでも言わないと心根の優しい後藤さんが心配してしまうからだ

 正直行く当ては無かった

 ただ以前新宿歌舞伎町に1日だけ世話になったカプセルホテルがあることを、俺は思い出していた

 車窓の外を流れる東京の夜景

 窓の反射に映り込んだ自分の目をジッと見つめながら


 俺はボンヤリと、思い出していた



一人きりの就職祝い   11月4日



 新宿駅に着いたのは、確か19時か20時だった。
 カラクイの折れたカンカラサンシンと簡単な身の回りの品を後藤さんから貰ったGAPの紙袋に詰め、手を突っ込んだポケットの破けている皮のジャケットを羽織ったみすぼらしい格好のまま、俺は気がつけば人の波に押し流されるようにして西口の圧倒的な雑踏から吐き出されていた。
 カプセルホテルのあった歌舞伎町は東口・・・ヤレヤレ、全く反対方向だ。
 後藤さん宅を出てからまだ一時間くらいしか経っていないのに、なにやらグッタリとくたびれていた。
 どうやら精神的にまいってるようだ。
 都会を行く人の脚は早い。
 まるで急流すべりのようなスピードの人の流れに逆らい、立ち止まり、時にぶつかりながら、俺は黙々と歌舞伎町を目指した。
 あたかもそこへ行きさえすれば、安穏と平静が約束されてでもいるかのように。



 JR東口交番からアルタ前のスクランブル交差点を越えて、胸をはだけた黒服のポン引きや合法ドラッグのバイヤーをかわしながら、俺は『クロサワ』という楽器屋の前でふと足を止めた。
 ズラリと並んだ電子ピアノの陳列スペースの頭上にサンシンがぶら下がっていたのだ。思わず嬉しくなって店に飛び込んだ。
 ひっ捕まえた店員に頼んで19800円の合皮サンシン下ろしてもらい、
 「初心者の方ですか? 本気ではじめるなら思い切ってコチラ(蛇皮)の方がいいですよ」
 などと、一丁前に営業をかけてくる店員の目の前でメチャクチャな調弦を直し、オジー自慢のオリオンビールをベラベラ弾きだす頃には、口数の多かった店員も随分静かになった。
 確かに19800円といえば、サンシンの中では下の下の代物だろう。そんな事は重々分かっている。
 しかし胸に抱いたサンシンの弦が雑踏の澱みで空気を振るわせる音を聞いた瞬間、俺の心は忽ちにして安らぎに占領されたのだ。
 今の俺にはこれが必要なんだと思った。
 自分への就職祝いだと言い聞かせて、俺はその場でサンシンを買い、浮かれた足取りで楽器屋を後にした。
 二つ目のスクランブル交差点を歌舞伎町側へ渡り、ドンキホーテから右手に靖国通り沿いを5〜600メートル進むと、左手に花園神社という立派な神社がある。
 人通りの絶えた小さな鳥居をくぐり、金網の檻に幽閉された狛犬を越え、水銀灯に青白くに照らし出された石灯籠の土台に腰掛けて一人サンシンの弦を爪弾けば、胸に巣食っていた得体の知れぬ不安が蒸発してゆくようだった。
 約半年の間旅を共にしたカンカラサンシンの不在は、思っていたよりもはるかに大きな風穴を心にポッカリと開けていたのだ。
 時折行過ぎる通り抜けのサラリーマンや、酔狂な参拝客達に冷ややかな目つきをされながら、俺は心行くまで弦の震えを遊んだ。

 東京に心強い相棒が出来た気がした。



 以前一晩だけ利用したことのあるカプセルホテルの所在は、記憶の地図とどうも一致しなかった。
 代わりに両脇を風俗店に挟まれた寂れたカプセルホテルが一泊3000円の看板をぶら下げていた。
 その手の店でないことを再確認して自動ドアのスイッチに手を伸ばす。フロントは必要なこと以外殆ど喋らないガリガリに痩せた一見国籍不明風の男だ。食堂なんかに置いてある券売機でチケットを買ってロッカーのキーと交換する。一応カプセルホテルを謳っていたが、寝室はどちらかといえば密閉型の簡易寝台といった風情だった。風呂も一つしかなくサウナは無い。しかしこの手の施設には珍しく、開店時間の17時にチェックインしてしまえば後は出入り自由だ。手荷物が行動を制限してしまう俺にとっては好都合なシステムだ。
 早速ひとっ風呂浴び、靴下を買いに行こうと無造作にまとめた洗い髪で宵の口をくぐりつつある歌舞伎町へ。
 ふと足を止め、眠らない街を行き交う人の群れに目を細めれば、薄っぺらを広辞苑のように積み重ねたネオンがあらゆる種類の欲望や刹那的快楽をありきたりなロードムービーのようなしらじらしさで浮き彫りにしていた。

 雑音と嬌声、煌きと深い闇のチャンプルー
 
 それは風呂上りの肌から立ち上る石鹸の香りと絶望的に縁遠くて


 なぜだかとても楽しかった



30歳の答案用紙   11月5日



 追い込まれないと本領を発揮できない俺は、決まってテスト前日に悲壮という名のヤマを張った。

 山崎誠は実力テストを文字通りの実力で受ける向こう見ずで知れた男だった。

 慎重に準備する男 森川氏はテスト前の付き合いの悪さと引き換えに、全体の中の上という理想的なポジションをキープしていた。

 十数年も、以前の話だ。
 



 森川氏からメールがあった。中学校時代以来の旧友 山崎が飲みにでも行かないか? と言ってるらしい。5日の夜だそうだ。
 俺も仕事が決まってひとまず格好がついた。これがまだ仕事も決まっていないような宙ぶらりんな立場だったら、俺は間違いなくこの誘いを断っていただろう。
 久々に飲む気の知れた男友達同士とはいえ、いやそんな間柄だからこそ余計に、みっともないところは見せたくないものなのだ。
 待ち合わせは森川氏の仕事の都合上21時に東京駅となった。それでも遅れると連絡のあった森川氏に暖簾の場所だけ伝えると、俺と山崎は一足先に一杯ひっかけておくことにした。
 お互いがお互いに散々な罵声を浴びせあいながらクロスカウンターパンチのような乾杯を交わす。近況や旅の話なんかはひとまず置いといてお互いがお互いの記憶に埋もれている楽しかった季節の思い出を発掘する。次から次へと出てくる思い出の破片を大切につなぎ合わせ、時に我が意を得たりと膝を叩き、苦しさに腹をよじりながら当時の笑いの真相に迫ろうとする俺たちの姿は、あたかも優れた考古学者さながらだった。
 そうこうしているうちに森川氏がいっぱしのサラリーマン姿で酒宴に加わった。
 約束の時間に遅れたことをマシンガンのようにつつかれながらまずは乾杯。
 四人がけの座席が二つ用意された座敷には俺たち以外誰も入ってこなかった。
 うるさかったのだろう。



 酒宴は意外にも山崎のおごりだった。
 山崎曰く
 「住所も決まっとらんようなヤツらから金は取れんばい」
 との事だった。山崎の決意は思いのほか固く、その場は結局懐を借りる事になった。
 うむ、十分みっともない話ではないか。
 考えてみると可笑しかった。
 3人中最も堅実な人生を歩むであろうと思われた森川氏は3回ほど職を変えた挙句に縁もゆかりも無い東京でホテル住まい。
 俺に至っては周知の通りのバカ旅に、気がつけば二年もの年月を費やした、世間一般から見れば堂々のアホである。
 なのにこの面子で一番将来を心配されたはずの山崎は、高校を卒業して以来仕事一徹の勤め人であり、その積み重ねの対価としてどっしりと安定した人生を送っているのだ。
 賑々しく別れの手を振って、やはり宿の無い俺と森川氏はお互い口には出さなかったが、どこか言い得ぬ敗北感のようなものを感じていた。

 積極的に連絡を取り合うことをしなかったこの十数年の間

 俺と共に行く末を案じられていた山崎は、なんだかシミジミといい大人になっていた。

 なんでもコツコツやる人には、かなわないのである。

 「東京のバカヤロウ」

 横断歩道で信号を待っていた森川氏がポツリと言った

 「東京のバカヤロウ」

 俺も言った


 東京はいちいち返事をしなかったが



 信号はやがて、赤から青へと変わった



それは、夢の叶え方に似て   11月6日



 縁あって某商業雑誌の編集長と、お話しをする機会を得た。
 ゆくゆくはあの旅の記録を本にしたいと思っている。しかしモッコのタイヤ交換ならA級ライセンスの俺も、そういう方面へのアプローチは当然ながら素人だ。そこでその道のプロからじきじきに話を聞ければ有益なアドバイスや、或いはきっかけを得ることができるかもしれない。
 午後に約束をして神田にある編集部へと向かう。微かなプリントの匂いのする応接室に通され、暖かいお茶のすぐ後に現れた編集長と挨拶をする。
 この編集部が手がけているのは専門職の強い雑誌だった。というよりも厳しい現状に晒されている昨今の出版業界では専門分野に特化して固定のニーズを掴まなければ、よほどの大手でも無い限り生き残りは難しいのだという。
 編集長の話ではそれは単に編集する側だけの問題にとどまらず、書き手にも求められる同様のテーマであるらしい。商業誌である限り、(読者かスポンサーに)売れる文章が必要なのだそうだ。聞きながらその話の意味は薄々分かる気がした。
 以前俺はふとした思い付きから旅雑誌を研究してみようと思い立ち、教材にと某有名旅雑誌を購入してみて驚いた。
 とにかく旅とグッズでワンセットなのだ。つまり旅そのものはグッズの魅力をわかりやすく伝える宣伝手法でしかなく、一事が万事「こういう旅にはコレコレこういうグッズがお勧めですよ!」という内容の繰り返しなのだ。俺の記憶する限り、商業色の無い純粋な旅記事など皆無だったのではないだろうか。
 そこを行くと俺の旅なんかは全く商業的ではない。当然の話ではあるがサイクリングやツーリングなどに比せば、徒歩の旅なんかは10分の1も、いやそれ以上の割合で需要が無いのだ。
 それでも俺が
 「○○社製の特殊撥水ウォーキングシューズと、ゴア○ックスポンチョの通気性は、日本有数の雨量を誇る屋久島攻略における、まさにアイデンティティリーダーだね」
 くらいの事を「これでもか! ええい! これでもか!!」と繰り返し書き連ねていれば、そういう組織へのアプローチも或いは可能だったかもしれないが、残念ながら俺の旅は980円のビニールサンダルに480円のビニールポンチョでの日本一周だ。
 どれ試しにメーカーを確認してみようと目の前に転がっているサンダルをひっくり返してみると土踏まずの位置にひっそりと『NIKF』の刻印が施された、パクリなのかパクリじゃないのかすらハッキリしない肝っ玉の小さい製造元だった。しかも中国製である。
 そういう意味を含めての商業文には、この日記は向かないのではないか? と、俺がかつて抱いた感慨と編集長の見解は、時を越えて切なく一致した。
 「ただ徒歩による日本一周というインパクトを活かさない手はないですよ、ひとえに視点や企画次第ではないでしょうか?」
 言いながら編集長は、出版社への企画の持ち込み方や企画を受ける側としての心理、アプローチの方法などを丁寧に教えてくれた。全くの素人である俺にとって、この話しは大変ためになった。
 結局小一時間ほども貴重な時間を割いていただき、アレコレと手ほどきを受け、今後絡める企画があったら連絡をくださいとありがたいお言葉を頂戴する。そんな話を聞きながら痛烈に思ったのは拠点としての住所の獲得だった。何をするにしても自分の部屋は、無いよりあったほうがいい。
 編集部を後にした足で賃貸住宅情報誌を購入、神保町から新宿へと向かう半蔵門線と丸の内線に揺られながら物件を探す。
 当座動かせる軍資金は20万円、これで来月の給料日まで凌がなければならない、つまり内半分か、せめて5万円くらいは手元に残しておかないとその後の生活が成り立たないのである。そんな現状から逆算的に導き出される検索条件は即入居可能な家賃の安い、しかも敷金礼金が限りなくZEROに近いという物件だ。
 そういう条件で絞り込むものだから、振るいに残る部屋は『築40年、銭湯スグそば』とか『3畳1間、風呂・トイレ共同』とか、そんなどこか悲壮感漂う物件しか見当たらない。それでも根気よく目を皿のようにしてページをめくってゆくと、調布の京王線沿線に『敷金1礼金0』というワンルームを発見! 6畳半のワンルームだがユニットバスと電気コンロがついている、しかもちゃんと即入居可能だ。
 さっそく電話をして確認するとその部屋はまだ空室らしく、詳しい話は店頭でということだったので、俺は例のカプセルホテルにチェックインをして手荷物を突っ込むと、京王線に飛び乗った。
 ただどうも怪しかったので目当ての物件のページだけ切り取ってポケットに忍ばせておくことにした。
 正しい判断だった。



 「いやぁすみません、その記事は何かの間違いなんですよ」
 一見手ぶらの俺に安堵したのか、不動産の男はわざとらしい困り笑を浮かべながら物件詳細データを持ってきた。見てみると実際は敷金も礼金もちゃんと2ヶ月分の部屋なのらしい。
 俺はニヤリと笑って湯飲みに口をつけ、
 「はっはぁ〜大企業エイ○ルさんは、そういういい加減な営業をされるんですね〜」
 と、茶托に温い麦茶を返した手で、切り取っていた物件のページを差し出した。
 「僕はこの情報を見て、確認の電話まで入れてここまで来たんですよ・・・それともこの情報は客寄せの偽情報か何かですか?」
 虚を突かれた営業の顔色が一発で変わり、以降の商談は一方的にこちらペースだった。
 バタバタと部屋を見せてもらい、必要な書類もほとんど作成し、審査を散々急がせて、この日の夜には10日の入居が決定したと携帯に電話をもらった。
 仕事が決まったのが4日で部屋が決まったのが6日なので、正味2日で住所不定無職を脱却したと言っても過言ではない。人間やってみればなんとかなるものである。



 夜は新宿の花園神社でサンシンを弾いた。
 爪弾く弦の震えに後顧の憂いを断った陽気な心が伝わったのか、境内を通過していた観光と思しき外国人達がオジー自慢のオリオンビールのリズムで踊りだし、演奏が跳ねると拍手をしながら有無も言わさず100円硬貨や500円硬貨をくれた。快く頂くことにして再び澄んだサンシンの音色を遊ぶ。
 つい先日まで俺の胸に巣食っていた不安は跡形も無く雲散霧消していた。

 どこか懐かしい心地の達成感


 そうだ思い出した



 目的地へはこうやって、たどり着くんだと



『恋』    7、8日をすっ飛ばして 11月9日



 恋はいつだって突然だ。
 理由なんかはいらない、好きになった瞬間から、いや好きだということに気付いた瞬間から怒涛の恋は幕を切るのだ。
 9日の朝、俺の機嫌はベラボウによかった。なぜなら今日はその恋のお相手と午後からお茶をする予定なのである!
 この約束は実は11月4日にとりつけていたのだが、その頃は仕事も無く部屋も決まっていなかった事もあり情緒不安定で諸手を挙げて大喜びとかは出来なかったのだが、仕事も部屋も決まってついに住所不定無職の執行猶予的時間に突入すると、もうお茶の約束をしている9日が待ち遠しくて待ち遠しくて、7日と8日なんかはずっとそのことばかり考えていた。
 これはあくまでも建前上は『お茶』なのだが、この数日間は『お茶』という単語が俺の頭の中ではことごとく『デート』と変換された。例えば伊藤園の『おーい! お茶』などは『おーい! デート』、あややちゃんが宣伝する『午後の紅茶』などはこの場合『午後の紅デート』になるのである。
 それにしてもウム、この『紅デート』というのがなんだか興奮するではないか。そこはかとなく真っ赤に燃える情熱の赤という感じではないか(繰り返すなよ)。
 「愛して! だと? おう愛してやんぜ!! そこんとこ死! 苦! 夜! 路!」
 などとテレビCMを見ながら誰もいないカプセルホテルの地下食堂で思いっきり、しかも振り付きの独り言を息巻いていたら、階段を降りてきた掃除(?)のオバちゃんと劇的に目が合って恥ずかしかった。
 話は戻ってご機嫌な九日の朝、いつも無愛想に仕事をこなすフロントの兄ちゃんの不景気顔まで笑顔に見える。まるで病気のように毎日通った立ち食いうどん屋の大将のイカツイ顔もなんだか俺の幸せな門出を祝福しているかのように見えて、ええい今日は特別にトロロ別注文だ!
 一事が万事そんな具合で俺はお立ち台でジュリ扇を振り回すイケイケギャル並にご機嫌だった。というのも最近自分のまさにイメージしたとおりに事が進むのだ。ということはこの恋もイメージどおりに進んで、あんなコトや、え? こんなコトまで!? と一人雑踏の真ん中で立ち止まってはハァハァと固く拳を握り締めながら肩を震わせて、しかも声を殺して顔は笑っているのである。警察に見つかったら即刻身柄確間違いなしの挙動だ。
 待ち合わせ場所の某駅改札には、約束の時間の一時間も前に到着していた。
 さすがにいくらなんでも早すぎたと思い、オーバーヒート気味の頭をクールダウンさせるため、はじめて降りた見慣れぬ街を散策する。
 途中懐がいささか心もと無いなぁと思い郵便局のATMで諭吉を強制連行。
 (いや、もしかしたらそれでも足りないかも・・・)
 と思ってしまった自分のバカさ加減に、当時の俺が気付いていたかどうかは甚だ疑問だ。そもそも二人のお茶代が1万円以上もするはずがないのではないか。
 フワフワの、実際5ミリくらい浮いていたかもしれないエアーINチョコのような足取りで再び待ち合わせ場所へ急ぐ。約束の時間より30分も前だが、いやまてよ、これはもしかすると彼女の方が先に待ってるかもしれないぞ? マズイなぁそしたらヤッパ俺は
 「やぁ、待った?」
 とか言いながら、曙のおっつけのようにドドドッと近づいていくべきなんだろうなぁ・・・などと幸せな妄想に浸り切りながら上り詰めた改札には、やはり誰も待っていなかった。そりゃそうだ。まだ約束の時間よりも30分も前じゃないか。
 俺は改札口から左右の出口両方を均等に見渡せる『駅で彼女を待つならこんな場所』という絶好のポジショニングで表面上は平静を装いながら、それでも一分に二回半くらいの間隔で時間を確認しながら『まさにデートの相手を待っている男真っ最中』というオーラをムンムン醸し出していた。
 こんな風に自分がどうしようもなく幸せな時というのは、全く余計なお世話なのだが
 (あの人は今幸せなのかなぁ・・・)
 などと、道行く全ての人々の幸せについてまで考えてしまうものだ。
 ああ! 出来ることならこの溢れる幸せを全世界の恵まれない人々に分けてやりたい! ・・・けど本当は分けてやんないもんね! 全部自分のものなんだもんね! と、もうここまでくるとみっともない上に軽度の精神分裂病患者である。
 そんな自分のためにする妄想で脳内の快楽物質にまみれていると、ついに意中の相手がやってきた。遅くも早くも無く時間ピッタリだ。
 「おまたせ! じゃ、いきましょうか」
 っか〜! そのリードする姿勢が完璧じゃあありませんかレディ!
 わかりました、こうなったら中林あきお、どこまでもついて行きます、なんなら、どうしてもとおっしゃるなら、あなた様のお部屋まで・・・と、妄想はいくら膨らませても無料なのでジャンジャン膨らませた方がお得だ。
 お互いの簡単な近況を駅前の雑踏に振りまきながら、案内されたお店はガラス張りのお洒落なカフェーだった。
 うむ、恋する男女が愛を語るには絶好のシチュエーションじゃないか。
 ゆったりと広い清潔なテーブルに向かい合って腰を下ろす。目が合った瞬間全くもって唐突に指をさして高笑いしたくなるほどのベッピンさんだ。以前も実はこういうシチュエーションがあったが、そのときはこれほど胸が高鳴ることはなかった。間違いない! やはりこれは恋なのだ!
 終始そんな具合に内面的には興奮しつつも、しかし表面上はいかにも世事慣れした30歳を演じた・・・というか会話のペースは実はこの女性がしっかり握っていた。俺は彼女のその豊富な話題と深い含蓄にただただ一方的に巻き込まれるような感じで、俺の努力は発言権の返ってくる僅かな時間にいかに気の利いた返事を出来るかに集約された。
 下手にトンチンカンな返事をするとこの方は露骨に冷めてしまって、早くも次の話題に移ってしまうのだから気が抜けないのだ。場合によっては
 「私、帰ります」
 とでも言いかねない雰囲気だ。
 しかしこの女性は・・・ん、ちょっと書きづらいのでここではA子さんと呼ぶことにしよう。A子さんは可愛かった。俺はA子さんの事をほとんど知らない。従って彼女の未知の部分は全て愛する可能性を秘めたウハウハエリアなのである。
 何気ない仕草の一つ一つや明らかに喋りつかれた瞬間に見せる、担任の目を盗んであくびをするときのような息遣い、テンションと連動して時に弾けるような身振り手振り。
 奔放に現在過去未来を語るA子さんの鋭い直球を危なっかしく受け止め、たまに受け損なっては、恋に落ちた自分を熱く意識せずにおれなかった。
 密かに高鳴る胸の鼓動が、テーブル越しに彼女に伝わればいいのに! と思った。もし伝わったら人間バイブレーションだ。

 「やだ違うわよ! ○○で結婚相手を見つけたのは○○さんよ!」

 来た! A子さんのケーキが無くなるか無くならない頃にようやく男女のそういう話題がやってきた! そう俺はまさにこの瞬間を待っていたのだ。
 (そういうA子さんは彼氏さんとかいるんですか〜)
 とか、凄い自然な感じでそれとなくそんな事を聞ける絶好のチャンス到来だ!
 俺は湯気の消えた湯飲みに見事な出涸らしサンピン茶を注いだりしながら出来るだけそれとなく
 「でもA子さんには彼氏さんとかいるんでしょ〜」
 と、なるべく硬い感じにならず、それでいてちゃんとはぐらかされずに返事がかえってくるような聞き方が出来た。
 聞き方が俺の生涯的に見てもかなりベストだっただけに、あとの時間はその返事が猛烈に気になった。しかし答えは呆気なく、しかもあっという間に返ってきた
 「え? いないですよ」
 A子さんは頼んだ注文があいにく品切れで、
 「じゃあこれにしてください」
 と注文を変更するような気楽さで、それでいてなんでそんなこと聞くのかしら? というような感じに目をパチクリと見開いてサラリと答えた。
 (うおっしゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!)
 心の中の手のひらが骨折するくらい俺は拳を叩き込んだ。やっぱり間違いなく俺にはビッグなウェーブが押し寄せてるのだ
 さぁベイビーこの荒ぶる波に乗って、見えるかいあの愛の彼方まで二人で行っちまおうぜ!! お金なら(?)俺が出すからさぁ!!!
 そんな言葉が喉まで出かかった次の瞬間、A子さんは
 「でも好きな人がいます!」
 と、今度はあたかも二昔前の少女漫画のように目をキラキラに輝かせて合掌した。
 それは今まで見たこともないような、恋する乙女の瞳そのものだった。
 「え? あ、ふーん、そうなんですか、で、どんな人なんですか?」
 明らかなうろたえを苦いお茶の湯飲みを傾ける仕草でごまかして、俺は果敢にもその真相に迫ろうとした。この時点ではまだ
 (それは何を隠そう 中林くんっで〜っす! 毎度お騒がせしっま〜す!)
 なんて逆転が起こる可能性だってあった。・・・というか既に「この時点」とか「可能性があった」と書いているまさに時点でこんないつにも増してダラダラ長い日記を読んで下さった方々にはお分かりかと思われますが、そのお相手はもちろん僕ではありませんでした。



 A子さんも現在、熱烈片思い中なのだそうだ。本人も十分その認識があり、傍から聞いていてもほぼストライクに片思いであるにもかかわらず、A子さんは「結婚するならその人と!」と、既に心に固く決めているのだそうだ。仮にこの人と結婚できないなら、一生独身でも構わないそうなのである。その貫通性すら備わっていそうな気持ちの直進性は、産声を上げたばかりの俺のベイビーな恋心など到底眼中に入らないほどの強烈な指向性を帯びて、そのお相手に向かっていた。
 完敗だった。
 いやもう恋を通り越して愛とすら呼べるであろうそのまっすぐな気持ちに乾杯だった。
 哀しいくらい心外にも、この恋愛話はマグマのようなヒートアップをみせて、2時間暖めたカフェの席を離れて案内された二軒目で夕食もご一緒することに。
 話を聞けば聞くほど、この二人の間には割って入れそうな隙間など1ミリも存在しなかった。
 堂々の片思いであるにもかかわらず、期待した僅かな真空地帯はまるで嵌め殺しの窓の隙間のように絶望的に存在しないのである。
 心地よささえ覚える敗北感であった。俺の恋が芽生える可能性は例えば全面核戦争と同じくらいの確率で消滅した。
 それはどういうことかというと、俺はおそらく届かぬかも知れない片思いに惜しげもなく情熱を注いでいるA子さんのコロニーレーザー砲のような前向エネルギーに惚れているのだ。全く皮肉な話だが心の中からその男性が消えてしまったA子さんに惚れれるかどうかは激しく疑問である。

 俺の恋はいつもそうだ。

 そして恋の終わりも、いつもそうだ。

 俺の脳裏にはかつて愛した女性達の群像が、東の空に台風の背中を追いかける叢雲のように流れた。

 「ぶっちゃけトークしてもいいですか?」
 『納豆と温泉タマゴのサラダ』という将来の可能性のあるカップルならまずチョイスしないメニューに箸を落としながら、俺はA子さんの服の上からもふくよかとわかる胸元で視線をピタリととめた。
 この俺の一言にはさすがのA子さんも勘づくものがあったらしく、
 「え? なんですか急に・・・」
 と、珍しく照れて、キレイな箸さばきの先で、お茶碗のごはんを落ち着き無くペタペタと撫でた。
 奥歯を噛み締めるような思いでそんないじらしい仕草を見つめながら、俺はこの人のことを好きになって、本当によかったと思った。

 「実は好きだったんですよ、A子さんの事が、だから今日、お茶に誘ったんです」

 A子さんは大慌てで照れてくれた。その後俺は取り皿に取った納豆と温泉タマゴをサラダにからめて一口だけ食べ、A子さんもお茶碗を置こうか、それともお箸にとったご飯を口に運ぶべきかどうしようかと忙しく考えている風だった。

 俺の恋が終わるのと引き換えに、ああこの人はこんなにも優しいのだなぁという思いが、俺の胸を暖かく満たした。





 閉店まで居座った丘の上のレストランで、俺たちは手を振って別れた。

 この別れは終わりではなくて、まだほんのはじまりなのだ。

 夢を語れる友人として

 尊敬できる一人の女性として

 彼女はずっと俺の未来に生き、関わり続けてくれるだろう

 小さくなってゆく背中にいつまでも手を振りながら

 一度だけ振り返ってくれた事に胸を熱くしながら

 俺は自分自身に何度も、そう言い聞かせた

 目を閉じた遠くで電車の走る音がした

 そうか、今日は歌舞伎町で過す最後の夜だな

 帰りにいつもの立ち食いうどん屋で100円別注文のトロロ蕎麦にしよう

 あのカプセルホテルの兄ちゃんが出勤だったら、今日は少し話しかけてみよう

 さぁ帰ろう! 新宿の忙しなな雑踏も、今日は愛せそうな気がするから

 いろんな事があった9日間、住所不定無職と呼ばれる最後の夜に


 蜻蛉のような恋を、終わらない友情のはじまりにかえて



 都会のささやかな星の下、空と丘の間を







『歌舞伎町放浪記』



〜了〜








戻る